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どうして大学に行くのか?誰でも大学に行ける時代だからこそ大学の価値を考えてみた話

どーも。

朝活しようとしても毎回失敗するから、もう完全昼夜逆転してしまえばよいのでは?とか思ってる男…

顔デカ太郎@airinybsgです。

本末転倒すぎて、もはやコメントのしようがない…。


まぁ正直に言ってしまえば著者は「大学中退してる」んですよ。

厳密には中退した、んですよね。どっちにしろ卒業してないことには違いないけど。

なんで中退したん?

これ以上今いる大学にいたとしても自分の成長が全く見込めないから、というのが大きいところだな。

人間としての成長があまりにも感じられない、これが大学時代の著者にとっては限りなく大きなストレスだった。

しかも著者のタチが悪いのがこれが浪人していった大学だってことだ。


これらを全部ひっくるめた上で、著者にはひとつ言いたいことがある。

最近「大学なんて行く意味ない!」っていう意見を見かけることが多いのだが、著者は「そんなことないよ」ということを言いたいのだ。

お前が言うなっていうのは、最後まで読んでからにしてくれよな。

 

今回の情報弱者
特に何も考えずに大学に行かない情弱

そもそも大学って行く意味あるのか?

大学って行く意味ないんですよ。

意味=必要という解釈をすれば。

大学に行かなくても就職はできる。

はっきりいって今の大学は限りなくただの就職予備校だ、大学に入ったらしつこく就職就職と言われる。

だとすれば大学に必ず行かなければならないことはない。

大学に行かなくても就職はできるし、別に難しくもないもんね。

また大学に行ったからといってよりよい就職の選択肢があるかといったら、別にそうでもない。

高校と大学を同じくくりにしてはならない。

これに対して「高校」は大学と同じ義務教育から外れているが行く意味がある。

高卒と中卒では選べる職業に差がありすぎるからだ。また中学卒業から働き出したとしても大した賃金は得られない。

また高校進学のコストはそこまで高くないため、中卒で働くというのははっきりいってコスパの悪い選択と言えるだろう。


また大学と高校には教育機関の分類上の違いもある。

高校は中学とおなじ「中等教育」を担う場所である。しかし大学はそれを超えた「高等教育」を担う場所である。

これは人間の成長に合わせた分類によるものだ。

なので分類から考えても大学に行く必要は必ずしも存在しない。

では何のために大学に行くのか?

目的がないと大学に行ってはダメなのか?

大学に行く意味がないと主張する人物の一部には「みんなが行くから漠然と自分も行くといった考えは間違っている。明確な目的もなしに大学に行くなど時間のムダだ。というものもいる。

著者は実際「自分が大学に行く意味はないな」と思ったうちの一人だが、この意見に関しては真っ向から否定させていただきたい。

ハッキリ言って「入学前に持っていた明確すぎる目的ほど入学後に崩れやすい」という事実をこれらの主張をする人は分かっていないのだ。

もちろん専門課程を学ぶ医・看護などは話が別だぞ。

他にも大学でなければ取得できない国家資格(教員免許など)を取ってその職業につきたいからなどと明確な目的はあるだろう。

大学入学前の目的などすぐ破綻する。

しかしながら著者は明確に医学部以外は「入学前の目的など破綻する」と言いたい。

なぜならば医者になるには医学部に入るしかないが、それ以外の職業に就きたいのならば大学の他にも手段があるからだ。

注意
他にも選択肢があるとは言ったものの、もちろん大学で得られる看護師の資格と専門学校で得られる看護師の資格は「おなじもの」ではないよ!

変な話、医学部生はきちんと卒業すれば間違いなく医者になるだろう。

しかし看護を出たからといって看護師になるとは限らない。

そもそも卒業するかも怪しい。

医学部は入ったからには卒業するという明確な意志のもとに入学したものがほとんどであるが、それ以外ははっきりいって医学部生のそれに比べればぬるいといってもしかたがない。


教育学部を出ても教師になるとは限らない。

それは全国に国立の教育大学があるにもかかわらず最近では国公立大に限らず私立大学までもが教育学部を設置し始めていることからも分かるだろう。

ここの学生全員が教員になることはありえないのだ。

教員免許を取るために必要な講義はやたらめったら面倒なことが多い。挙げ句の果てに卒業単位には認められず、ただただ時間だけが奪われていく。

正直割りに合わないと思う人も多いだろうね…。


もっとひどいのは法学部法律学科だろう。

ここを卒業したら全員が司法関連の仕事に就くのか?

いや違う、そもそもそこから法科大学院に行って司法試験を受験せねばならない。

司法試験の合格率は大体一桁代と言われている。

全員がなるには難易度が高すぎるね…。

またここで上げたものは全て大学で取れる国家資格の一部であるが、例えば経済学部を卒業したらなにか特別な国家資格を得られるのかといえばそんなことはない。

著者が通っていた文学部だって同じだ。

大学は目的を持たずに行ってよい。

ならもう一度訪ねたいのだが「明確な目的」とはなんだ?

明確な目的とは「その大学に入る」ではないのか?

「入ってからのこと」を誰が考えて受験しているのか?

みんなが行くから大学に行って何が悪い。


むしろ大学にいく目的すらわからないような人間がそのまま社会に出てどうにかなると思っているのか?なるわけないだろう、社会を甘く見るな。

大学は目的があっていく場所ではない。

それが許されるのは医者、看護師、教師に本気でなりたい人間だけだ。

じゃあ結局、なんのために大学は行くものなの?

大学に行くのは自分が何者になるのかを探すためだ。

もともとは著者も大学に行く意味が分からなかった。

著者ははっきりいって高校受験の時から受験をする意味がわからなかった。

しかし母に「高校を出てないと明らかに損やからとりあえず行け。これは命令や。大学は高校行ってる3年間でいく意味を探せばいい。」と言われたものだからとりあえず行った。

すると大失敗をしたわけだが…それはどうでもいい。


そして母に連れられ高校2年の時にいろいろな大学のオープンキャンパスに行った。

もともと著者は関西よりも関東に行きたかった、住みたいと思っていたから基本的に東京近辺の大学しか見に行かなかったがどれに行ってもイマイチぴんと来ない。

正直もともと歴史が好きで中高ともにその辺の成績だけは抜群によかったものだから、史学科のある大学をみて回っていたのだがなんとなく思っていたのと違う。

社会学部の体験にいくと先生がいきなりゲイだと暴露し始めて混乱するわで、とにかく大学に行く意味は全く見出せなかった。

どんなオープンキャンパスだよ…。


そんな時だ、とある大学で見に行きたい授業はあるけど時間があるからなんとなく扉が開いていた教室に入った。

そこはなにやらほかに比べて集まっている人数も多くない、少し毛色の違った空間だ。

どうにも哲学科というところの体験らしい。

その時の著者に哲学なんて言われても全く頭の中が「????」になるだけだったが出るタイミングを失ってその輪に混ざることになった。


結果的にそこで哲学にハマった著者は実際受験でも哲学科がある大学を片っ端から調べて受けたのだが満足いく大学には合格せず、親と相談して浪人することになった。

浪人生の間は半端ないストレスを抱えた。

体重が20kg減るくらいにはな。

しかしそれでも満足いく結果は手に入らなかった。

流石に2浪は認められないと親から通告され、著者自身もメンタル的に限界だったのでとりあえず受かった大学の哲学科に入った。

大学に入ってぶつかった理想と現実。

正直あまり行きたい大学ではなかったが、その大学で学んだことは結構今に生きている。

しかしその大学で著者が感じたのは「哲学はそれだけ学んでも何の役にも立たない、なにかを成し遂げた人や成し遂げる人に必要な学問だ」という事実。

実際哲学科に入ってやるのは有名な哲学者について調べ議論する、などではなくまずその哲学者が書いた文を自力で読むために「外国語」を習得するといったことからだ。

哲学科に行きたいと思っている高校生がいたらこれだけは知ってほしい。

本気で哲学をやりたいなら大学院まで行かないと「ギリシア語やラテン語が読めるようになって終わり」という何をしてたんだと思う学生時代になる。


そう、大学のオープンキャンパスは実際運営する側になってみればよく分かるのだが本当に授業でやっている内容などほとんどしないし見せない。

あくまで「受験生はこのようなところを見せれば魅力的に感じてくれるだろう」という統計的なデータから導き出された演出なのだ。

だから議論大好きな高校生が哲学的なネタで議論をしてその大学のその学科を受験してくれれば大学は目標達成なのだ。

だから仮に「オープンキャンパスで魅力を感じ」なんてことを志望動機にしても裏切られるだけだ。

じゃあやっぱり大学に行く意味はないんじゃないの?

なんてことにはならない。

大学とは「未知との遭遇」のために行くのだ。

あくまで大学に行く意味はそんな見える部分にあるのではなく見えない部分にある。

大学とは「未知との遭遇」のために行くのだ。

大学では未知との遭遇という自分の頭では到底理解できない人類と仲良くする機会がある。

はっきりいってこれがない大学ならそれは大学ではない、それこそ無駄だからとっとと辞めてしまえ。

未知との遭遇が自分を救ってくれる。

自分は他人以上に自分のことがわからないものだ。

著者も「なんでコイツここで勉強しないんだよぉ……」とか死ぬほど思っていて、こうすればきっと勉強するだろうと思ってもことごとく自分という生き物はその通りにいかない。

頭では「勉強しないと」と思ってても、自分の体が動かないことってあるよなぁ。

なんで自分って自分の言うことを聞かないんだろうな…。

こんな自分だからもはや他力本願になるしかない。そんな時に未知との遭遇は驚くほどに効果的だ。


未知との遭遇は人かもしれないし、その人も同級生かも、先輩かも、後輩かも、教授かも、助教かも、ていうか人ですらないかも。どんな形かはさっぱりわからない、未知なんだもの。

しかし自分の経験からは一切想像も想定もできないものがやってくる、未知なんだもの。

なんか韻を踏んでないか…。

人間は自分の中にあるものだけで考えていてもどうにもならないことがままある。未知との遭遇は自分に今までになかった考えやアイデアをくれる。

それがどうにもできないような問題を解決する起爆剤となってくれるのだ。


しかし未知との遭遇はそんなに簡単ではない。

なぜなら遭遇とはつまり出会いであるのだから出会う母数が少なければその遭遇の可能性は著しく下がる。

なので学生数が少ない大学に行くのはこの際得策ではないと言える。

また、はっきりいって学生の質はある程度偏差値に比例するので偏差値が低い大学に行くのも出会う価値のないものが増えるといった点においては得策ではないだろう。


とにかく大学に決まりきった何かを求めないのであれば可能性を制限しないような大学に行くべきなのだ。

そして可能性を制限しない大学とははっきり言って有名大学なのだ。

偏差値とブランド力は重要だ。

学歴社会は崩壊したと言っても、やはり学歴は重要だ。

学歴厨と罵られるかもしれないがあえて言いたい。

学歴社会は崩壊したと言ってもそれは「低学歴の大学でもなんとかなる」という意味ではなく「高学歴の大学ですらうかうかできない」と言ったことだ。

つまり慶應に入ったからあとは適当にやっててもいい、という時代ではなく慶應に入ってどうしてきたかということが重要になるのだ。


はっきりいって著者は学歴差別主義者だ。

しかしこれを言うと「肩書きだけをみて人間性を見ていない前時代的な人間だ」と言う輩が必ず存在する。

しかし著者は思うのだ、どんなに優れた人間でも肩書きが邪魔をしてその人の価値を下げているのであれば、結局その人の価値はその程度だったと言うことだ。

判断材料の少ない就活においては、学歴で判断せざるを得ない。

「人間性を重視した採用活動」というのが最近のトレンドだが、著者は正直この採用活動には疑問を感じざるを得ない。

人間性なんて、そんな簡単に見分けられるわけないやろ…。

少ない面接時間とテストで人間性を見るって…ちょっと無理あるよね…。


ならば結局学歴や肩書き、経歴などで判断せざるを得ない。

またはっきり言って就活で採用する側からすればそんなもの博打でしかないわけで、極論、東大生とFラン大学生のどちらかに賭けなければならない場合普通に考えて東大生の方がリターンが大きいと見るのは当たり前だろう。

もちろん東大生にも地雷のような輩もいる10球投げて地雷に触れる確率はどう考えてもFラン大学生の方が高い。

このようなことが一般認識でありかつ事実であろう。


また悲しい事例として知人の元関西の地方銀行の採用担当をしていた人がこんなことを言っていた。

「リーマンショックの頃に面接をした二人の学生が一人は同志社大学でもう一人は京都産業大学だった。ただこの二人、同志社の方はただ適当にサークルとかをやって過ごしてきただけだが京産大の方は学生団体をやって発展途上国で学校建設をやってきた、という人間の魅力として決定的な違いがあって僕は京産大の方を採用したかったけど不況で新卒採用を減らすことになり、関関同立以上の大学からしか採用しないってことになった。だから京産大の子は申し訳ないと思ったけど不採用になって同志社の子が採用になった」

とのことだ。

このエピソードから分かるようにいかに大学で素晴らしい活動をやっていようが、自分の所属する大学がもつブランド力のせいでそれが過小評価されることがあるのだ。

情弱ペディア
同志社大学、京都産業大学とはともに京都にある私立大学。

同志社大学は関東で言うところのMARCHと同等の関関同立という部類に充てられ、京都産業大学は産近甲龍という関東では日東駒専と同等の部類に充てられ同志社よりも京産大は下というのが関西での一般認識だよ!


自分の価値を正しく評価してほしいのならセルフプロデュースは必要だし、マイナス要素になるものは排除すべきだ。

またもし今そう言ったものがなくても、将来なにかしようと思った時にたかが「学歴」ごときで自分の価値を下げるようなことは絶対にあってはならない。

そういった面において大学のブランド力、偏差値は非常に重要だ。

大学に行く意味がわからなくても、それ以外の選択肢を選ぶ意味もない。

大学に行くのは現代で最も不正解ではない選択だ。間違いではない。

また大学に行く意味がわからなくなる最大の原因はおそらく高校のように「普通科」と言ったものがないからだろう。

大学は何かしろ「文学部」であったり「経済学部」や「理学部」などなど分類分けされたものしか存在しない。

だから「自分は得意科目も特にないのに……」と、どれを選べば良いかわからなくなるんだね!


正直これに関してはもう直感を信じろ、あるいは得れるものが多そうなものを選べとしか言えない。

なぜなら大学の学部選びに正解はないからだ、申し訳ないがこればかりはどうしようもない。

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強いて言うなら、最近は常に人気のある経済経営法学よりも「社会学部」が人気だよ!

あとは自分で調べよう。

また大学の学部選びすらままならない状態で高校卒業後の進路を選ぶことなど不可能だ。

大学に行くということは4年間という時間「社会に出るのを延長する切符」を大金払って買っているようなものなのだ。

しかしこれは間違ったことでもなく、実際18歳が考えることよりも22歳が考えることの方がより経験値がついてマシなものになっているだろう。


大学は自由だ、その間にいろいろと考えればよい。

最低限のことをやっていれば、誰も文句は言ってこないさ。

記事のまとめ

というわけで今回は「なぜ大学に行くのか?」について解説をしました。まとめるとこうなります。

  1. 就職に必ず大学が必要かといえば、そうでもない。
  2. 目的をもって大学に行っても、そのほとんどは破綻する。
  3. 大学に行けば今まで自分が知らなかった「未知」と出会える。
  4. いくら人間性重視の採用でも、大学で判断せざるを得ないこともある。
  5. なにもないなら、なにかを見つけるための4年間という時間を買え!!

結論:迷うくらいなら親に頭を下げて大学に行け!!


正直著者は一度大学をやめた人間だから、大学に行く価値は誰よりもわかっていると思っている。

だからこそ言いたい。

大学に行ってもないヤツが、大学に行く価値をとやかく言う資格はない。


世の中には大学に行かずに起業して成功したやつもいるが、そんなの一握りだ。

失敗したくはないだろう、ならば最大多数の最大幸福を得るための最適解をとるしかない。

自分が「何者になるか」を決められないのなら、みんなと同じように「大学に行く」という選択肢は良いと思うよ!

「やりたいことで生きていく」がしたいなら、むしろ大学に行った方が見つかるという話だ。

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