どーも、高校時代は理系だったけど大学は文学部に行った男……
文系は役に立たないとか理系の方が将来性があるとか言われて久しいが、高校のクラス分けを見れば一目瞭然だが圧倒的に文系クラスの方が収容人数が多い。
著者の高校では普通科で入れ替えのあるクラスのうち理系のクラスは2つで残り5つは文系クラスだった。
1クラスあたり40人ほどいたので1学年に200人は文系だったということになる。
もちろんこの中から著者の逆で理転した者もいるだろうから全員ではないにしろこれは相当な数字であろう。
そして最近巷で話題なのが「2030年にはAIの発達で人間の仕事が減る」というやつだ。
特に経理や事務など機械化しても問題なさそうなやつは真っ先に消えてしまうだろうという予想だ。
しかし著者がこれにものすごく違和感を覚えるのはこの発言の裏に「文系蔑視」の様相が見え隠れするからだ。
むしろそんなしょうもないプライドに酔いしれて油断している理系(笑)の方が足元をすくわれるのではと思っている。
今回はAIの時代を生き抜くために「バカにされたくなければ読解力を高めよう」っていう話をしよう。
もくじ
書いてある字のオトは読めてもイミを理解できない日本人
ネットの炎上は「一部分しか読んでない」が多い
ネットで炎上するなんてことは最近ではよくあることだが、そのほとんどの原因が「一部分だけを切り取られた」発言に怒りの感情が向いているからだ。
「死ね」「殺すぞ」など直接的な意味が暴力的でいかなる場合においても使うべきではない単語はいくらでもある。
しかしこれもその前後の文章によっては話者が言いたかったことが異なってくることだってある。
部分的に切り取ればどんなものでも問題発言になる
例えば「もしあなたが死ね、殺すぞ、と言われたらどう思いますか?」とパワハラ啓発研修での発言があったとすればそれは「死ね、殺すぞ」と相手に思って言ったわけではないことくらい明白だ。
にもかかわらずこの部分だけを抜き取って「と、彼は言った」なんてすればまるで話者が誰かに「死ね、殺すぞ」と言ったようになるではないか。
じゃあどうして意味が変わってしまうのに一部分だけ抜き出すようなことするのかといえば、短い文章・単語の方が読みやすくてインパクトもあるからだ。
「オト」を読めることと「イミ」を理解することは別問題
日本語は大変便利なことに「あ」に「あ」以外の読み方はない。
アルファベットの「g」は周りの文字によって様々な音に変化するが日本語はひらがなをベースに文字と読み方が基本的に一致しているため、漢字も全てフリガナがふっておけば誰でも読めるようになっている。
しかしこれで文章を理解していると思ったら大間違い。
代名詞で「迷子」になるなら要注意
これを最も簡単に証明している場面が文中に「代名詞」が出てきた時だ。
代名詞を使うとびっくりするくらい、いとも簡単に文章を読んでいた人は迷子になるのだ。
また代名詞を使わずに文章を省略することもある。これも全く同じ結果になる。
この原因は文章を読む際に「オト」には注意をはらっていても「イミ」にまで意識が届いていないからだ。
残念なことにこういう「イミ」を読み取れない人間は大人子供関わらず一定数存在し、はっきりと研究結果でも示されている。
暗算能力を求めすぎたあまり、文章問題が解けなくなった
今の学生は「日本語が不自由すぎる」という調査結果
とある調査によると
「特に、数学を理解するために必要な論理的思考力の低下や、抽象的概念を理解することの困難さを指摘する意見が多かった{中略}さらに、数学だけではなく、すべての学問の基礎として必要な日本語の読解力・表現力の低下について言及{中略}入学試験や(大学)一年生の期末試験における数学の答案にまったく意味の通じないものが増え、どうしていいか当惑している{中略}様々な大学の教員から意見を集めたところ、論理的文章を理解する力、論理を組み立てて表現する力が学生から失われつつあるのではないか、との危惧が広くある」とのこと。
——— 第一回 大学生数学基本調査報告書(http://mathsoc.jp/publication/tushin/1801/chousa-houkoku.pdf) 参照
そしてこの調査では平成23年度入学生の入学直後にいわゆる「文章題」と「計算問題」を合わせた制限時間30分のテストを回答してもらった。
その問題では文章題などで「できる限り簡素な問題文にするよう考慮した」らしく厄介な日本語の問題などが極力含まれないようにし、回答に必要な知識は小学校の算数・中学校の数学で習うものに範囲を限定した。
つまり大学入学直後でしかも出題範囲は明らかに入試よりも少なくしてある、言ってしまえばイージーな問題を使ったそうだ。
回答した学生の偏差値も幅広く取られていて、総数は5946名。
一般的に高偏差値と言われる国公立大学の学生も含まれている。回答方法も記述、選択など様々だ。
しかしこの調査から分かるのは「正当を出せるのにその説明ができない、あるいは論理的な回答ができない」ということである。
国語教育が軽視されていることが問題だ
この原因として考えられるのが「国語教育の軽視」だ。
年々数学や英語の授業時間は増え続けているが国語の時間は一向に増えない、それどころか減少している。
日本人の子供なら日本語が読めて当たり前という思い込みに近い前提があるため、わざわざそこに時間をかけるのは無駄とでも思っているのだろう。
「日本語」のことを教えてくれるところは少ない
先ほども言ったが日本人の多くは「オト」が読めているのであって「イミ」が分かっているわけじゃない。
またその時間数が減っている国語の内容もまたまずい。
ほかの科目が「解き方」を教えることがあるのに対して国語の授業で文章の意図の拾い方を教える機会は少ない。
読解問題なんて数学や理科と同じで「与えられた条件から推察できる状況から導き出せる合理的答え」を回答するものであって、間違っても書いてないものをクリエイトするようなものではない。
代名詞を使うと迷子になると言ったが、そりゃあその代名詞が何を指しているのか、反語・接続詞(語)があるとどういった効果があるのか、そんなレベルのことは専門の塾でも行かないとなかなか教えてくれない。
著者は比較的現代国語の授業なんかそもそも大嫌いだったが、受験をするときにひたすら英語の長文を解きまくっていると同じ要領で現代国語の問題も解けることに気がついた。
AIは計算が得意、でも読解は苦手
AIは完全無欠というわけではない
いつかの研究でAIに入試問題を解かせたら理系科目はまぁそれはそれは素晴らしい点数を叩き出した。
そりゃそうだろう。絶対に計算ミスのしない理想的な脳みそを持っているのだから。
しかしそれも満点ではなく、また文系科目はコテンパンにやられたというほどでもないが決してよい点数ではなかった。
現代文なんて説明文ならまだしも物語文なんて書いた人間のクセ次第でセリフからト書きまで好き放題操作できるのだから規則性なんてあったもんじゃない。
極端な言い方をすれば説明文は相手に理解してもらう必要があるが物語文は必ずしも相手に納得してもらう必要はないのだから。
だとすれば今勉強で注力するのは結局覚えて使わない理数系の知識や解法ではなく、論理的な思考力と基礎的な語学力だと言える。
ちなみに日本語力はともかくとして論理的な思考力の強化は今の学習指導要領にも載っている。
しかし遅々としてその養成は進まない。なぜか。
基本的に「発言」や「発信」は書き手の意図が全てだ
現実的に論理的な思考力、論理的に考える力、論理的な考え方をつけるのは簡単だが難しい。
というのも先日著者と相方が喧嘩した際に……
と相方が勘違いしていそうなところを自らの言葉で解説したところ
などというものだから、そんな無茶な論理がまかり通ってなるものかと余計に言い争いになった。
基本的に発言や文章はそれを発した人物の「意図」が全てなのである。
もちろんそれが「論理的に考えて著者の意図と一致していれば」の話ではある。
どう考えても一般的ではない突飛な理屈を持ち出してゴリ押ししようとしてもそれがどこにも説明されていないのであれば誤解されても文句は言えない。
しかし論理的に考えて、一般常識や社会通念と照らし合わせた上で、また発せられた言葉の中で説明された事柄については発した人物の意図が完全に全てに置いて優先される。
書き手は「読み手の事情」を完全に理解はできない
例えば現在の社会で総理大臣が「国のために死ね」と言えば大炎上必至だがそれが戦時中であればなんの問題もなかったことなのだ。
それそのものに問題がある・ないに関わらず、その時代においてそれがまかり通っていたかが重要なのだ。
会話においても著者は感情を挟むべきではないと思っている。厄介なことになるだけだから。
ただそれでも相手の意図を理解せねばならない会話や文章を読んでいる場合においては自分の感情や状況などは挟むべきではない。
書き手や言葉を発する側は相手の状況や感情まで読むことはできないし、まして相手の読解力なんてわかるはずもない。
最近の世の中にはどうやったらそういう解釈なるんだ、なんて報道も散見される。これも全て受け取る側の能力不足が原因だ。
誤解を招きやすい文章があることぐらい理解はしているが、それでもあまりに「お前話聞いてたか」と言いたくなる人間が多すぎる。
記事のまとめ
というわけで今回は「日本人は国語力に乏しすぎるのではないか」という解説をしました。まとめるとこうなります。
- 日本人は「オト」だけを追って「イミ」を理解しない人が多い!
- 教育にも原因はあるが、日本人の国語力や読解力は下がっている!
- 書き手は読み手の事情を知れないのだから、読み手も正しく読む努力をしよう!
結論:読解力の超簡単な方法は文章にしるしをつけながら読むこと。
実は著者は今回取り上げた調査の問題をペンも何も使わず解こうとしたところ、盛大に誤解をして1時間ほどうなり続けた。
自慢だが現代国語の全統模試で全国1位を取ったことすらある著者でもそんな状態だったので、そうでない人間が簡単に読解力を手に入れることはできない。
数字で書かれたものなら理解できる人がもし読解力が不足していると思ったなら、できる限りビジュアルで理解できるようになれば読解力は比較的容易に手に入る。
要するに指示語や代名詞・接続詞などで文章が迷子にならなければよく、書いてあることだけを元に理解すればよいのだ。
こういう特定の用法がある語句を〇で囲んだり、その語句が差している方向を矢印で示したり、はたまた強調されている語句を「」(カギカッコ)でわかりやすくしたりと、とにかく何を言っているのかわかるようになれば自ずと読解力はついてくるだろう。
読解力に必要なのは「焦らず」「無駄な考察をせず」「論理的である」ことだ。
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