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私刑が許されないのは法がキチンと平等に機能している時だけだ、という話

こんにちわ顔デカ太郎@airinybsgです。

今回の記事はマジメに自分の怒りを抑えるために書きますのでご容赦ください。

基本的にこのサイトでは個人を誹謗中傷するような記事は書かないようにしているのですが、さすがに理解に苦しむ事態があったのでせっかく月間2万回見られるブログを持っているのだから思ったことを書こうと思います。

なので今回は普段より文章が硬めです。おふざけ要素はありません。

交通事故は基本的に現行犯だ

つい先日、東京のとあるターミナル駅がある近くで交通事故があり2人を殺し、多数の人間に怪我を負わせる事故があった。

交通事故はその罪の責任を問えるかどうかは別としてその場で現行犯逮捕されるのが習わしである。

事故現場において罪状は明らかなのだから当然の対応である。

これは仮に運転ミスであったとしても許されることはないのである。


しかし件の事件において加害者であるIは警察から「逃亡の恐れがない」として逮捕されていない。

やったことは誰が見ても明らかで、客観的物証まで存在すると言うのに逮捕されていないのである。

もし「逃亡の恐れがない」から逮捕されないのであれば他の交通事故を起こした人間たちの半分くらいは逮捕されないのではないだろうか。

少なくとも現行犯で逮捕される人はいないのではないだろうか。

とにかく判例やこれまでの事例から考えてこのIが逮捕されていない現状は「異常」としか言いようがない。

ネットでは個人情報の晒し合いが行われているが……

さて最近の困ったことにニュースになった事件の被疑者や被害者の個人情報が根掘り葉掘り掘り起こされて、それこそデジタルタトゥーになるという問題だ。

これらをやっている人間たちは「犯人なのだから相応の報いを受けなければならない」などと思っているのかもしれないが、その報いを決めるのは我々一般市民ではない。

日本は近代法治国家である以上、法のもとに我々国民は平等である。


法のもとに平等である以上、法を犯したものの量刑を決めるのは法や判例に照らし合わせて裁判官が行うものである。

裁判官は常に客観的立場に立って事実のみと向き合いそれを決断する。その権利が与えられているのもまた、裁判官のみである。

なので今ネット上で行われている個人情報の晒し合いや嫌がらせはただの犯罪行為に他ならない、決して相手が交通事故を起こし2人の命を奪った許されないモノだったとしても「それとこれは話が別」なのだ。

本当に人は法のもとに平等なのか

法のもとに平等であるから一般市民による「私刑」は許されない。

……が、それはあくまで原則が守られている時のみである。

先程「交通事故は原則その場で現行犯逮捕が基本」といったが今回の容疑者であるIはその基本が履行されていない。

基本が適用されないのは被疑者が病床などにあり、現実的に拘留することが難しく真相究明のためには体調回復が優先される場合などに限られる。

しかし今回のIはまったくそのような状態にはない。事故を起こしたプリウスはフロント部分が切断したかのごとく潰れているが運転手はまったくもって健常だ。


それどころかこのIが事故後とったとされる行動には少なくとも「怪我をしている人間ならばできない」ような行動である。

このIは事故後、自らの息子に連絡し「アクセルが戻らなかった」と話している。

おいおいおいおい、警察でも救急でもなく「息子に」「電話で」か。

しかもこれは定かではないが現状確認できる限りこのIのFacebookページは削除、ウィキペディアは編集にロックがかかっている。

また元職場である経産省のページからも削除されており、まるで全てがなかったかのごとく「細工」されている。


もしこれをIが息子に事故後連絡して全てやったことだとすれば大したものである。

自らの名誉を最優先に考えて行動する彼を我々は見習わなければないかもしれない。

これだけのことを常人ならパニックになってしまうような大事故を起こしたにもかかわらず粛々と行ったのだとすれば「極めて冷静沈着であった」と判断せざる得ない。

またこのIは骨折しているとのことでまぁまぁ見事に事故後救急搬送されている。自らを演出するのが大層お得意なようだ。


さぁ、逮捕できない理由とはなんだろうか。

逃亡の恐れがない?そんなくだらない理由で逮捕しないなら警察はよほどの税金泥棒だろう。

この事故の1週間以内に三宮で起きた市バスの事故では運転手は救援活動まで精一杯やったが2人を殺してしまった。

これこそ逃げる可能性などないだろう、しかし即座に逮捕だ。

一体彼らに何の違いがあったのだろうか。

これでも法のもとに平等と言えるのだろうか。

危険運転致死傷罪で早急に立件すべき

逃亡の恐れがないから逮捕しなくて良いのなら「在宅起訴・送検」すればよいのである。

警察はそういう「とりあえず適当な理由」をつけてやるのが得意なお役所だろう。

それをやらないあたり警視庁は相当な職務怠慢だと言える。


なお退院後もIは逮捕せずに任意で聴取する予定だそうだ、警察は。

自分の輝かしい栄光をうまく隠してどうやったのかは知らないが逮捕されずにいる、法の外にいるような人間なんて、もはやくだらない正義感の否定すらできずに怒りすら覚える。


そもそも日本は交通事故での被害者死亡事故等の罰則があまりにもゆるすぎる。

交通事故で人を殺してもほとんどの確率で「死刑」が宣告されることはないのだ。

それは自動車事故で最も重い罰が下される「危険運転致死傷罪」ですら最高刑が死刑でないのだからもはや「制度上のミス」としか言いようがない。バカバカしい。


またこの危険運転致死傷罪も適用の条件が難しい。

制限速度を大幅に上回っていたなど「明らかに危険とされる行為」がなければ適用はできないし、適用できても求刑が重くなるかどうかはまだわからない。

以前この危険運転致死傷罪が適用されるかどうかで「無免許だが運転能力はあったので適用できない」なんてバカな判例もある。

この裁判官は運転免許制度を否定しているのだろう、無免許でも運転能力を認められるのであれば免許を取る必要性を感じられないし免許不携帯で減点されるのも不合理だ。


人が死んでいるという状況をまったく理解していない。

残された家族が一体どういう気持ちで生きていくと思っているのだ、わかりっこないだろうが。

どうせ人間に他人の気持ちなんか絶対にわからないのだ。

同情と馴れ合いが大好きで自分より哀れな人間を探すことに長けた国民性である我々日本人はなんと劣悪な人種であることか。

わかった気になるだけで心地よい気持ちになる。ひどい公開オナニーだ。


よく「目には目を、歯には歯を」とハンブラビ法典の言い回しを使ってやられた分だけやり返すことを主張する輩もいる。

だが残念ながらハンブラビ法典も身分によって受ける刑が変わるからまったくもって平等ではない。

そう、今の日本のようにな。

記事のまとめ

というわけで今回はまじめに「法のもとに人は平等なのだろうか」を書きました。結論はこうなります。

結論:免許更新制度を改めるしかない。


最近「高齢者講習」があるのをご存知だろうか。

高齢者が免許を更新しようとするとこの講習を受けなければならない。逆にこれさえ受ければ問題ないのだが。

その時に認知症の診断などもやるが、結局それがまったく生かされていない。


まともに車庫入れもできないような老人にハンドルを握らせるべきではない。

アクセルが戻らなかった?ブレーキはアクセルを踏んでいても踏み込めば止まるようにできているし、そのように免許を取るときには教えられているはずだ。

正直マジで交通事故で死者が出るのはまったくもって心苦しい。

是非とも事故を起こして殺人者になったものにはVRでもなんでも、自分が殺される体験でもしてから社会に戻ってきてほしい。

日本はなんと犯罪者に優しい国か。


著者がここまで怒り狂っているのは自分の父親を生まれてすぐに交通事故で亡くしているからである。

著者は生まれてからずっと「なぜ父親がいないのか」を悩み続けて不要な苦痛に耐えてきた。

こんな状態にある子供をこれ以上増やすわけには行かない。

人の死は突然訪れるが、できる限りそうでない方が好ましい。

他人の気持ちなんか理解しなくていいから、これ以上人が死なない方法を考えてほしい。

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