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情報強者として生きる!情報強者になるにはどうしたら良いの?という話

ども〜顔デカ太郎(@airinybsg)です。

相方からの再三にわたって「このサイトのメインになる記事をかけ」という要求に対してのらりくらりとかわしつつ、避けること3ヶ月。

とうとう年貢の納め時。相方がまさかの「この順番に書け」とほぼ設計図に近いものまで作ってきたのでしぶしぶ著者はこの記事を書くのだった。

この記事の趣旨は「著者・顔デカ太郎の考えていることをわかりやすく解説する」というもの。

情報強者代表の著者の脳みそを解説することで少しでも著者のたまに「意味わかんないこと言ってるな」という状況をなくしていければなという意図だ。

そう、読者が賢くなることで著者の配慮を少なくするためなのだ。

そうすることで著者が楽になるのだ!!

書いた理由がゴミすぎる……

 

今回の企画
情報強者のなり方を徹底解説する話


どうして人は情弱になるのか?

情弱はイメージの世界に生きている

どうして人は情弱になるのかというと、情報弱者は「イメージの世界」に住んでいるからだ。

あなたは今、洗脳されているに近い状態なのだ……

洗脳だなんてそんな……

携帯会社がやる悪質なCM、通常価格を値上げして本来の価格をあたかも値引きした価格かのように表現するキャンペーンはまさにこの洗脳の尖兵だ。

イメージ戦略に騙されない「視点」を持つ

イメージの世界には「良い」イメージだけが流れている。

良いイメージを流すことが戦略的に理にかなっているからで、政府や企業は率先して自らの利益のために日々良いイメージを流すことに死力を尽くしている。

その手段として使われるのがSNSだ

SNSでネガティブなことを出そうもんなら不評の嵐、もう少しウィットに富んだことでもしたらどうだと思うくらいにしょうもないクソリプがバンバンやってくる。

なのでそれはネガティブなことを発信する=炎上と同義。

炎上するとせっかくのブランドイメージも崩壊することすらあるので、そこにある広告も「良いイメージ」で埋め尽くされている。

「イメージの世界」ではネガティブなことはご法度……


というかそもそもSNSに広告があることを疑問に思ったり違和感を感じたことはあるのだろうか、おそらくないだろう。

無料で使えるSNSがほとんどだが、ただそのままでは会社の収益は上がらないし商売あがったりだ。

収益を上げるため、というよりむしろ広告を載せる場所を作るためについでで作ったのがSNSだといえる。

無料だからホイホイやってきたところに広告をやんわりと流すことでなんとなく頭の奥底に覚えていてもらおうという戦法だ。

そしてSNSがなぜ存在しているのかも特に考えずに、SNS映えなんかを気にした人たちがたくさん発生するような現代はまさに「イメージの時代」と言える。

相手からどう見られてどう思われるかを最重要視する、イメージ戦略によって生活の良し悪しが左右されると思っている。

まさに今はこれが「トレンド」と言える

しかしそれはあくまでイメージの話であり、中身や本質がイメージとあっている・ふさわしいものであるかどうかはまた別の話である。

良いイメージだったのに粗悪品なんて、よくあることやもんな……

たしかにイメージの時代である以上、自らを良く演出するのは必要だろう。

しかしそれ以上に大切なのはイメージの時代だからこそ「事実」に忠実である視点だ。

「連想」ではなく「判別」して考える

例えば「キャンペーン」と書いているだけで安易に「安い」と連想しない。

一体それが具体的に「何円安く」なって、その条件は一体何なのかまで確認しなければならない。

イメージの世界にそこまでのことは書かれてないんや……

周りが「自らを良くしようとイメージを操作する」のであれば自分自身は「イメージに左右されない視点」を手に入れなければイメージに踊らされて損をすることになる。

イメージに左右されない視点を手に入れるにはより具体的で信憑性の高い、事実に基づいた「情報」を知る必要がある。

それはイメージから「連想」されるものではなく事実から「判別」できるものでなければならない。

情報強者になると人は自由になれる

自由の量≒選択肢の量

当たり前だが、多くの選択肢を持つことで人は自由になれる。

逆に選択肢がなければ人は自由ではないぞ

自由に選べないってことやもんね!

選択肢を初めから持っていることなど少ないのだから、人は元来「自由ではない」のだ。

「知らない」は自由を奪っていく

選択肢を持つからこそ人は自由になれるが、選択肢を持たない・知らないことで自由でなくなってしまう。

WiMAXの存在を知らなければ外でWiFiを使いたいと思っていても固定回線を契約するしかない。

外食は高いと思い込んでしまったがために、クーポンを使えば十分安くできるというのに生活の満足度を下げてしまっている。

もっと極端なことを言えば起業をするネタも技術もあるのに「お金がないから諦めた」。お金さえあれば今頃成功できたのに。

これはお金があったかどうかが問題ではなく、お金を集める方法を知らなかったが故だ

お金を集めるだけなら、借金じゃなくても「クラウドファンディング」という手段だって今はあるもんね……


選択肢となる情報を持たなかったが故にやりたかったことも、やるだけの力があったのにできない。

本来の力が発揮できないのは不幸なことだろう。

「情報収集」とは選択肢を得るための手段だ

自由ではない人が自由になるための武器が「選択肢」であり、選択肢を得るための手段が「情報収集」だ。

情報収集することによって情報とそこから導き出される選択肢が手に入る。

知らなければ見えなかった道が情報という明かりに照らされて、ようやく選択肢足り得るのだ

情報は「主観」を取り除くことで輝く

ただここで厄介なのが「情報を集めたからといってそれがそのまま選択肢になるわけではない」ということだ。

え、どういうことなん?

つまり情報は「知る」だけじゃダメなんだよ

情報はいわばただの石ころに過ぎず、磨いてみたり割ってみなければその石がダイヤモンドなのか砂利なのかは判別が付かない。

またその使える状態にしなければいくらダイヤの原石とはいえ採れたてほやほやでは価値はない。

あくまで磨いて削ってから価値がでるのだ。


情報も同じだ。

情報には必ず「誰かの主観」が付いているのでそれをできる限り排除して客観的に見た場合にのみ残るものが選択肢として使える。

誰かの主観を削ぎ落としたとき、もしかしたらそこには何も残らないかもしれない。

こうなることを避けるために客観的に情報を判断する力が情報収集した時には必要だ。

情報収集して手に入ったものがそのまま選択肢になるわけはなく、もしうまいことそうなったとしたらそれはどこかで「ミス」をしているだろうから再考が必要だ。


情報収集はもちろん重要だが、それだけではなくあくまで「そこから選択肢を導き出す」客観的に情報を判断する作業がセットで機能してこそ全てに価値がでるのだ。

「これだけをやればよい」なんて甘いことはない

しかしセットで作業さえすればその先に手に入るのは文字通り「選択肢」であり、選択肢を手に入れることはすなわち「自由」だ。

可能性を広げるにはあと一歩なのだ。

情報強者になるには、とにかく調べる

「気になる」を片っ端から潰していく

著者の行動で1つ明確に人と異なるものがある。

著者はもちろん現代っ子なのでスマホやPCで調べごとをたくさんする。わざわざ図書館に行ったりはしない。

しかし多くの人が検索エンジン(グーグルやヤフー)を使って調べたいことを入力したとき、目的のページしか見ていないのに対して著者は関係のない周りのページまで見てしまう。

気になったら平気で広告だろうが何だろうがクリックしてしまうのだ……

その結果、目の付いたものを決して手当たり次第にやっているわけではないのだがブラウザのタブが大量に開いてしまっている。

というか何を調べていたのかすら忘れていることもある

なんでやねん……


そもそもそんな結果になることが普通の人には理解できないとよく言われる。

著者は調べごとをするとき、見たいページをクリックするのではなく「別タブでひらく」のだ。

著者にしてみればこれは「今調べてることとは別の興味」だから別タブで開かなければ今やっている作業を後から再開できなくなって困る。だから別タブで開くのだ。

これも情報収集


著者は自分の「興味」に対して正直に生きているのだ。

別に知らなかったからって「今知ったからいいじゃないか」ぐらいに思っている。誰でも知らなかったことなんていくらでもあるだろう。

「わからない」は頻繁に見つかる

日常的にわからない、ということは頻繁に起こる。

どうして同じ電車に乗れるカードなのに「ICOCA」を東京の自販機でジュースを買うために使えるのに「PiTaPa」はそれができないのか。

おそらくここで多くの人は「そういうものだから」としてこれ以上の詮索をしない

しかしもちろんこれにも原因はある。


この原因は「PiTaPaはほかの交通系ICとは決済システムが全く違うので共通利用ができない」なのだ。

そもそも全ての交通系ICが全国の交通機関で使えるわけではない。

全国相互利用が始まった直後、山陽電鉄や神戸電鉄でシステム改修の費用を捻出できないからとして相互利用導入を見送った。

しかしその時点でPiTaPaは使えてICOCAとの相互利用を始めていた。


しかし一般の人にしてみれば「ICOCA」と「Suica」の違いなんてほとんどないようなものだ。

「同じJRじゃないか」とまで言われるがこれらはあくまで「別会社」だ。

今でも千葉都市モノレールはSuicaとPASMOのみ利用できるが、これも他の交通系ICカードとの相互利用を導入するほどメリットがないからで時々千葉駅で困惑している人を見かける。

これも「理由さえ知っていれば」悩みすらしないな……

なんで?といちいちその場で時間を使うくらいならあらかじめ知っておけばよいのだ

「わからない」をそのまま放置しない

では「わからない」をどうしたらいいのか?

それは「興味疑問に正直に生きて、そのままにしない」だ。

とにかく調べろ。とにかくそこからだ


それを最も簡単に実行する方法の1つが「とりあえずググる」だ。

図書館行けとか言ったりはしない。より簡単に調べる方法があるのは良いことだ。

それでも疑問が解決しなければ別の選択をできるのだから、そういったときに図書館を使えばよい。

初めから図書館に行くと「行くだけで満足」してしまう恐れがあるためあまりオススメはしない

努力してる気分になって終わっちゃうんやね……


疑問は調べるだけで解決することもあるが、また別の疑問が出てくることもある。

よし、それではそれも調べよう

ひたすらひたすらやれることをやったときにもう何も出てこなくなったらそれが真実だ。

ここで著者が言ったのは「とにかくとりあえず今調べろ」それだけだ。

検索ワードを入力だけして後でやってもいい。しかし1日以内にやれ。

情報ペディア
別に特別なことではないはずだよ!

複数の視点からモノを見よう

同じ内容も立場によって解釈は変わる

著者がよくやる「別タブ」で開くというのは興味があるから後で調べよう、という理由だけでやっているわけではない。

情報は必ず「だれかの手を介している」のだから多少事実が歪曲してしまう。

メディアなら文字数やスペースの制約から省略せざる得なかったものもあるだろう、だからその事実の歪曲の全てが悪いわけではない。

なのでその「仕方のない歪曲」への対処として、同じ事象だとしても複数の側面から観測しなければ正確だとは言えない。

別タブで開くようにすると少なくとも別の人が書いた情報を複数のタブから見ることができる。

1つの事象を別の立場から見れるのだ

それってどんな意味があるん?


例えば表裏で全く違う柄の服を着ている人がいても、それをただ正面から見たら1種類の柄しかわからない。

正面から見ている人の情報は「ヒョウ柄の服」と言ったとしてもそれを右から見たら「前はヒョウ柄、後ろはシマウマ柄の服」というかもしれない。

まぁこれだけでは体の4分の3しか見えていないのでもしかしたら背中のまだ見えてない部分は茶色い服になっているかもしれないが、正面からだけ見た情報よりは正確なものになっているだろう。

この「人」を説明する際には正面からの情報だけでは不適格だということがわかるだろう

情報収集手段も複数ある方が良い

またこれは「情報源を複数持つ」という手段と「情報収集手段」を複数持つという方法がある。

手段と方法 の違いは手段は特定のものから行われる行為を指し、方法は特定の行為をするための行動を指す。

つまりネットで情報収集する、というのは「手段」であり情報収集のために「新聞やテレビ・ラジオ・インターネットを使う」というのは情報収集という特定の行為のための方法である。

手段の集合体が方法ということやねんな!


複数の情報収集の手段を持たなければならない理由は、手段が少なければその手段への依存度が高まってしまうというからだ

1つの手段への依存度が高いとその手段が使えない、信頼性が疑わしいなど手段として的確でない状態になった際に情報収集そのものがストップしてしまう。

特に信頼性に関して、情報源が定かでないネットのリーク情報なんかなんのあてにもならないことからわかるように匿名性が高いネットはそれが著しく低いと言わざる得ない。

常に情報とは「客観的にみて明らかである」ことが重要なので、そのためには情報源が特定されていることや根拠となっているものがあると確認されていることはその客観的視点を保証する上で必要最低限のものだ。


しかし著者は別にここで「だからネットはだめ」といいたいわけではない。

あくまでそいういう事実があるので注意しなければならない、と言いたいのであって一概に「新聞やテレビの方が優れている」断定するものでもない。

新聞やテレビだって誰かの主観によって構築されていて、その状態はなにも他のメディアやネットと大差などないのだ。

しかし信頼性の担保や情報源の確保のためにネットとこれらを併用するのは非常に合理的な行動だと言える。

「自分の主観」は情報収集の敵だ

また複数の情報源を確保するにはそもそもその「情報源」を選ぶ基準すら見直さなければならない。

所詮自分の判断基準もまた「自分の主観」でしかなく、自分の主観で選んだ情報源は自分の信頼性が担保できなくなったときに全く役に立たなくなる。

これを回避するには「自分のテリトリーではない所」からの情報源を手に入れる必要がある

自分のテリトリーではない……ってどういうこと?


自分のテリトリーではない所とは自分では「理解できない」「興味がない」「嫌っている」人などが所属するようなコミュニティなどを指す。

例えば著者はホリエモンが嫌いだけど「嫌いだから信用性が低い」と断じるのはあまりにも短絡的すぎる。

自分の好き嫌いや興味の有無、理解度なんてその情報の信頼性となんの関係もないのだ。

多く人は、自分のテリトリー以外の部分にある情報はあまり精査しない。

それが正しいかどうかなど関係なく、自分の感情によって判断を下してしまっている。これは客観的にみて明らかではない。

情報源には「自分の感情」など不要だ

情報は「活用」しなければ意味がない

「ただ楽しいから」情報収集できる人は少ない

ここまで徹底的に客観性と信頼性を担保させた情報源は十分信頼に足るものだ。

しかしこれを全て何の意味もなくやるのはあまりにも労力に対して得られるものが見合っていない。

というか著者のよくあるバカな行動だが、情報を集めるのが楽しくなりすぎて「なんのためにそれをやっていたのか忘れてしまう」ということがある。

いやほんとにバカだ。著者はこれでもいいが普通はさすがにそれではこまる

せっかく情報を集めたんやから活かさないとね!

情報は「自由」のために集めるもの

情報を集める理由はそうすることで自分にメリットがあり、選択肢が増えるからだ。それが自由になる条件だから。ならば情報を活かさなければならない。

情報を生かすというとすごく難しいように思うかもしれないが、選択肢を増やすためにある情報なのだから選択肢によって何かを解決できるようになれば十分なのだ。

目の前の課題に対して情報と選択肢によって解決できれば活用は十分にできている

叶えたい夢があるのなら情報源をたくさん持ち、自分の感情のせいで客観性を失うようなことが無いようにすれば夢を叶えることもできるだろう。


情報を集めることは大変かもしれないが慣れてしまえば呼吸をするように入ってくる。

そうなれば次にするのはそれを生かすための「行動」であり、これさえ終われば問題は解決する。

問題解決のために行動するのだ

人はわからないから「不安」になる

不安にならないように情報を集めよう。

不安に思うのは情報がないからで、わからないという状況は人を不安にさせる。

だいたい不安な時って「どうしよう……」って言うもんな

情報さえあれば「こうしよう」になるからな

情報がないと自信を持てず、結果として不安になる。きちんとした根拠となる情報を持ってさえいれば自信は保証される。


悩むくらいなら情報を集めよう。情報もないのに悩んだとしても何も得ることはできない。

そこで悩んで何かを決断したとしても決定打にかける不確定要素の多すぎる曖昧なものでしかない。

それはミスリードを増やすだけでロクな結果を生まない。

これは根拠として不十分だ……

「情報」に裏付けられた自信は行動へとつながる

とにかく情報を集め、精査しよう。

そこから得た確証は決断に自信をもたらすだろう。

選択肢をたくさん持つこと以上に「根拠に裏付けされた自信」を持つことはもっと重要だ。

自信のない人間よりも自信のある人間は魅力的になり、根拠のない自信よりも根拠のある自信を持つ人の方が実力が高い。


逆に自信がない人間など最も役に立たないモノの1つだ。

不安という感情を抱いたまま動かれることほど周りの人間にとって邪魔なものはない

最終的に何かをしようと思ったときに、それができないのは「やる気がない」などという不確実なものではなく、自信が無くて始めるのが怖くて不安なだけではないのだろうか。

記事のまとめ

というわけで今回は「情報強者のなり方」について解説しました。まとめるとこうなります。

  • イメージから連想するのではなく「事実」から判別しよう!
  • 情報収集とは「選択肢」を得ることであり、自由を得ることだ!
  • 情報強者になりたいのなら「わからない」を片っ端から調べろ!
  • 同じ内容を複数の「視点」で見ることが正確に把握するためのカギだ!
  • 情報は人に自由を与えるだけでなく、根拠のある「自信」を与えてくれる!

結論:著者にとって愚者は邪魔でしかない。


著者にとって「まじめに努力して獲得したものが、努力もせず怠惰に過ごした愚か者のせいで邪魔される」のは本当に我慢ならない。

はっきり言おう、バカが嫌いだ。

自分をバカだとわかっていない、バカだと思わない、バカであることで損害が発生していることの自覚がない、これらを許せない。

愚か者のためにまじめに生活する人間が損をするのは許されるものではない

まじめに情報強者を目指す人は、是非うちのサイトでも情報収集してみてね!

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2 Comments

アバター ソニキチ

資料活用、批判的思考力、多面的・多角的なものの見方。どれも小中高で学ばなければならない能力なんだよなあ……
今回の学習指導要領改訂でどれほど”改善”するのか見ものですね。

返信する
アバター 顔デカ太郎

そうですね、おそらく学校で教えてはいるんです。そして教えられた側もわかってはいるんです。重要性も全て。

だからこそ批判的発言はできているんです、ただ批判するだけなら。そのさきがないんです。

返信する

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