どーも昨日の記事におそらくはじめて相方の描く絵に対してダメ出しをした男……
基本的にお互いのやっていることに対してよほどのことがない限り自分の専門分野でない限りは「直してくれ」とは言わないようにしている我々であるが、昨日の記事「JREポイント」の絵にあろうことか相方はJR東日本のサービスを紹介しているのにもかかわらず「JR東海の東海道新幹線の絵を描いた」のである。
あの記事はざっくりいうと「JREポイント貯めるにはえきねっと使うのがいい」という内容だった。
えきねっとはJR東日本の特急や新幹線の予約サービスなので相方は関西人なので「新幹線=東海道新幹線」の絵を描いたのである。
しかしまぁ東海道新幹線の予約でもポイントが貯まるとはいえ、えきねっとを使って新幹線の予約をするならもちろん東北新幹線などJR東日本のものを描くべきだろう。
正直このレベルの失敗であればよいがこの「誤ったイメージで判断してしまう」というのは後々にとんでもない失態を犯してしまうことだってある。
今回は「イメージで判断することの危険性」について解説しよう。
もくじ
自信がないのに疑わない現代人
「自信がない」ことを自覚することが第一歩
全然関係ない話をするが、基本的に現代の人は「自分のことについて本当に自信を持ってなどいない」と思われる言動が多い。
大衆に迎合するようにし、自分で責任はとらないなど「自信があればそんなことはしないだろう」ということが多い。
さてかく言う著者も自信がない人の1人だが、著者とそれ以外の人とではこれはまた決定的に異なる資質がある。
自分自身を疑うことがイメージ脱却への道
この場合、自信というよりも信用だろうか。自分に対して自信があれば自分の行動が正しいかどうかなんて疑いようの余地もない。
しかし自分に対して自信がないことをわかっている、というか信用していなければ自分の行動が正しいかどうかなんて全くわからないのだ。
自信がないことを自覚しているからこそ自分に対して「不安」を感じることが多く、かつ自分に対して「疑ってかかる」ことができる。
問題なのは不安な状態が正常な行動に対して悪影響を及ぼしていることであって、不安だと思っている精神状態できちんと正常な行動ができればなんの問題もないのだ。
で、著者でないいわゆるいっぱんぴーぷると呼ばれる人たちはまず「自信がないのにその自覚がない」上に自覚がないことで「自分の行動を疑ってかからない」のである。
これによってそもそも自分が間違っているなんて露ほどにも思わないのだ。
自分自身を疑わないことによって起きること
間違えているかも、という不安が問題を解決する
一番最初にあげた「相方が絵を間違えた」という話、著者が相方に伝えた際の返答は……
正直、気づいてすらいなかった。
正直相方の描いた絵、まして構図の部分なんて知識程度にしか心得のない著者がそうそう口出しすることなどない。
新幹線の絵がE5系じゃなくてN700系なのも言ってしまえば「著者が細かすぎる」話だが、完璧なものはできなくても近づける努力は必要だと著者は思う。
そんな「完璧なものに近づける努力」は自分自身が完璧でないという状態から始まり、そして自分自身を疑うことでそこに近づくのだ。
なので「これって合ってるのかな?」という感性すら持ち合わせない人間は間違いが起こった時に「どうしてそこが間違ってしまったのか」「なぜ間違っているのか」すらもわからない。
なので同じようなことでずっと、延々と間違い続ける。
好きなことを好きでい続けるために内省する
まして、やりたいことに関わらず「常にミスをし続ける」というのはやる気も下がるし日本人が大好きな「世間体」もかなり悪い。
また世間体について言えば、自分と他人との評価にギャップがあってそれが大きいと精神的に非常に辛いところではある。
自分はすごい、正しいと思っていても周りの人間が誰も評価してくれなかったり、酷評されるとギャップによってモチベーションなどのやる気に関わる部分が著しく低下する。
リアリストは別に冷酷な人ではない
リアリスト、現実主義者はそもそも政治上の用語で国際関係などを良い状態で保つべきとする「理想主義」に対抗する思想のことを指す。
そしてそんな現実主義の基本的な考え方は「国の生き残りの方が最優先」であらゆる価値観を排除して客観的に分析する傾向が強いとされる。
これこそ「より現実を見つめて行動する」という意味でのリアリストといえる。
なので価値観に左右されない客観的な分析眼があるために、事実を他者に対して突きつけることがあるのでそれが「冷たい」として形容されることがある。
記事のまとめ
というわけで今回は「イメージで生きる危険性」について解説しました。まとめるとこうなります!
- まずは「自分が間違っているかも」という不安を持て!
- 常に自分の判断を疑うことで現実に基づいて動ける!
- リアリストは冷酷ではない、事実を見ているのだ!
結論:イメージは妄想と同じ。現実とは違う。
著者は記事を書く時にプロットなどを書かない。今、ありのままの自分の言葉でそれを表現したいからだ。
そしてそれを常に書きながら客観的に観察して、おかしな文章になれば修正をして完成へと導く。
プロットを立てるとプロットというイメージに執着して、話が脱線した時などに「修正しなければならない」という考えが働いてしまう。
しかしプロットがなければ脱線ということがそもそも起こらない。
自分が間違っているかも!
は私の仕事には大変重要な考えです!
改めて認識しました!
自分が間違っているかも、という感覚は一歩間違えれば自己嫌悪に繋がりかねませんが、そこをうまく制御できる人が優秀な人なんでしょうね。
これがなければ人はおそらく慢心してしまうでしょうし、その先には間違いなく破滅が待っていますし。
管理人の座右の銘は?