どもーどこまでいってもLINEの相手は相方のみ……
つい先日相方と「コイツはおもしろいと後から気づいた時に関係性が無くなっていて、後悔したくない」という話になった。
要は「現時点でおもしろいとは思えない人とどう付き合うか」という話をしていたのだが、著者は全く相方の言っていることが理解できなかった。
まぁ著者が他人に共感できなかったりややサイコパスじみていることはもはや自明の理だが、ただそれでも著者も他人のことをおもしろいなとくらいは思っているだろうと思っていた。
そこでふと思ったのが著者は他者他人を「おもしろい」という目線で見ていないのではということだ。
著者が自分の周りにいる人間に求める条件として常々口にしていたのは「自分よりも圧倒的強者、自分より優れた人間、それらを兼ね備えた自分に影響を与えてくれる人」だ。
基本的に著者は「自分でなんでもできる」と思っているしある程度のことは実際にそうだ。
なので自分の周りの人間に求めるものは「自分では変えられない、できない出来事ができる人」だ。
そう思っていた時にアスキーに気になるサービスの記事が載っていた。
勉強ノート共有アプリClear
こんな不純な使い方ではなくもっと志の高い使い方が記されていたのだが、著者的にその中身が「そんなとこまでSNSの要素入れなくても」とおもったので解説しよう。
もくじ
最も勉強の邪魔になるもの、スマホ
SNSの要素が非常に強いアプリ
基本的にこのアプリはなんらかの試験がある人たちが使うものだ。
なんらかの試験とは一般的に言って中高生の定期試験、入学試験、大学生もそれに含まれるかもしれない。おそらくメインのユーザーはこの辺りだ。
そもそも今回著者が引っかかった機能は新しく追加された機能だが、そもそもあったノートを共有する機能をそれ以外の用途にして使っている人がいたためそれを独立させたという感じだ。
その独立させた機能というのがいわゆるTL、タイムラインという機能で今のSNSではほとんどメインに使われている機能と言える。
またそれ以外にもQ&A機能、このアプリで言うと「わからない問題を解説してほしい時」などに使う。
目標を掲げるだけで満足してしまう
しかしやはり著者としては仮にも勉強の手助けをするアプリながら、中身がそれにそぐわないもののようにしか思えないのだ。
というのも、TLで目標を高らかと掲げそれを他人に共有することは「マウンティング」に他ならないのだ。
現代では自分の優位性をアピールしている様を指す言葉になっている。
高い目標を掲げるだけなら誰でもできる
彼らの心の奥底にあるのは受験や試験前の不安から「これだけ高い目標をやっている私って偉いでしょ」という精神だ。
しかし考えなくてもわかるものだが、どれだけ高い目標を掲げ努力しようがなにをしようとも「それが達成されなければなんの意味もない」ということ。
結果のない努力を完全に否定したりはしないが、少なくともただ目標を掲げることには何の意味もない。
有言実行という言葉もあるが、だいたいそうやってデカデカと大声で目標という名の願望を叫んでいる連中に限って有言不実行になる。
受験生がTwitterをやりまくってて受かるわけがないのは「普通の人が考えれば当たり前のこと」なのに仮にも勉強の手助けと銘打っておきながら、そんなアプリがTwitterもどきのような機能を搭載するのはいかがなものかと思う。
ノートを見て勉強するなんてありえない
なぜかみんな「ノート」を見て勉強したがる
著者はノートを見返すことがほとんどなかった。
というか一回書いたノートは概ね書いたことによってほぼ記憶されてたのでノートを共有するという考えがイマイチわからない。
著者の「頭良かったよマウンティング」は放置して、基本的にノートは授業や講義でやった内容を書き写して復習する際に使えるようにするためのものだ。
学校のテストでないとノートは適していない
しかしそれはあくまで「テストの出題者が授業の先生」であることが前提での試験勉強のためであり、教科書や参考書には記載されていない内容が出題される可能性を考慮した対策だ。
なので出題者が想定できない入試対策にはノートなど一切不要と言っても差し障りないだろう。
大学生に至っても同じ大学の同じ講義、せめて他大学でも同じ教員からの講義であれば他人のノートは役に立つかもしれないが、なかなかそれは難しいことだろう。
教科書はどんな参考書よりも最強
試験対策の勉強がしたい、と誰もが思う。というか誰もがやる。しかしなぜか教科書はあまり活用されない。
そしてみな、口を揃えてこう言うのだ。
「教科書は内容がまとめられてないから使いにくい」
単純に面倒、効率が悪い、時間がかかると「思っている」からやっていないだけではないのか。
教科書はすべての基本となっており、最も端的にまとめられたどの参考書よりも有用な参考書と言える。
教科書を使った超有効な勉強法
全部丸写しして暗記してしまう作戦
教科書を使った勉強法は著者が実際にやっていたものだが、もうこれしかないと思っている。
少なくとも殆どの試験は教科書の内容がそのままテストに出てくる。
仮に教科書の内容を9割覚えていたとすれば、教科書からの出題率が8割だったとしても正答率は7割を超える。
教科書を丸暗記していれば授業はいらない
実際に授業中、最前列の先生の目の前で爆睡かました授業で試験前日に教科書丸写しをやった科目は8割を十分取れていた。
8割取っていて文句を行ってくる輩はそうはいないだろう、そんな奴は普段の点数が悪いのだ。常に8割取っておけば何の問題もない。
そもそも素人に相談してどうすんねん
同じ高校生相手に質問するおバカ機能
わからない問題を質問するのはたしかに有効だ。しかし質問する相手は間違ってもアプリの向こうの誰かではない。
先生が教えて、先生が出題する。これは絶対だ。また、成績をつけるのも先生だ。
だったら「勉強しているよ?」ということは先生にアピールするべきではないだろうか。
先生に質問するのは評価の意味でオイシイ
そもそも問題の内容について一番理解しているのは先生だろう。最低でも大学を出ているのだから高校生よりはそこそこ勉強はできている筈だ。
素人に質問してもそもそも「正解」や「わかりやすい解説」が返ってくるとは限らないし、自分がその問題を理解していない以上それが正解かどうかなんてわかるわけもない。
また正解だったとしても解きやすい方法であるかどうかなんてのもわかるわけがない、自分は理解していないのだから。
記事のまとめ
というわけで今回は「勉強にまでSNSを持ち込むなよ……」ということを書きました。まとめるとこうなります。
- 勉強にSNSを持ち込むと、目標を掲げるだけで満足する!
- 本気で受かりたいなら、ただひたすらに教科書を丸写ししろ!
- わからないところを質問したいなら、素人じゃなくて先生に聞け!
結論:勉強は1人でやるもの。アピールする相手は評価してくれる人。
何でもかんでもスマホに頼るのはどうなのだ、とかいうと前時代的とバカにされるかもしれないが「勉強は一人でやるもの」というのは変わらないと思う。
結局は入試という競争のために勉強しているのだから、戦うのは自分たった一人であるのは変わりないのだ。
少しでも点数を獲得するために評価してくれる人へのアピールは欠かせない。だとすれば使うのはスマホではなく教科書、相談する相手は知らない誰かではなく先生だろう。
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