どーも、受験合格率実は3割あるかどうかな男……顔デカ太郎(@airinybsg)でおま。
受験合格率は単純に受けた数に対して受かった数の割合のことで合格する確率ではない。
正直著者は20〜30回くらい受験した気がするのだが受かったのは直近含め7回だけだ。
とはいえどれだけ合格しようが落ちようが大学は「卒業しなければ何の意味も持たない」ということを思い出して欲しい。
留年しようが落第しようが何でもいいからとりあえず卒業すれば「〇〇大学卒業」という称号が手に入る。
そしてその称号は大学のブランド力が高くなればなるほど価値が上がる。
というわけで今回は「大学はちゃんと卒業しろよ」と自分に言聞かせる意味も込めて「一流大学卒業の称号は伊達ではない」ということを解説しよう。
もくじ
大卒はオワコン?それ以前に高卒がイケてるコンテンツだったころってあるか?
現代日本における学歴の種類
現代の日本において学歴は「中卒」「高卒」「専門卒」「高専卒」「短大卒」「大卒」「院卒」とがある。
学歴とみなすかどうか非常に微妙なところだが大学院に関しては卒業せずに「修了」という形で過程を終わらせることもある。
ホリエモン「学歴はオワコン」
さて大学に行くことを「時間の無駄」「オワコン」と標榜する人が増えているのは事実だ。例えばその代表がホリエモンとか。
だがしかし著者が主に大学オワコンと言っている人に聞いてみたい「では大学に行かないなら18歳、あるいは15歳から何をするんです?」ということ。
ちなみにこの答えっておそらく「自分で考えろや、だから大学なんか行くことに価値感じてんだよ情弱」だと思われる。
大学行かないなら、代わりに何をするの?
対案や具体策などを提案プレゼンできないただの批判など日本の野党よりもひどい有様だ。
実際「大学オワコンだから無駄」の対案や具体策を考えろって言われて、高い費用対効果を示すものはないのだろう。
その時点で大学に行くことはコストパフォーマンスに適った行動と言える。
大卒でも給料が上がらない問題
じゃあ高卒の給料が高いのか?
「大学 オワコン」で調べると色々出てきて「大卒の給料が高くないし上がる可能性も低い」だからオワコンと言っている人もいる。
しかし著者が働いていた某McD鳴門は新卒で約30万、中途(高卒以上)で約20万からと言われている。
というか実際にそこそこ働いていて先輩がバイトからそのまま入社したりフリーターが入社したりするケースがかなりあり、そう言った人から実際に聞いた話なのでかなり正確な話だ。
実際に複数の社員がいた店舗では「仕事のできる中途採用の社員マネージャー」よりも「新卒で入ってきた頼りない社員」の方が給料が高いなんて事象が起こっていた。
ちなみにマックの仕事は過酷だし著者は何度か1回目の大学をそのままちゃんと卒業して入社しろよ、とか中途で入社すれば?とか言われて真剣に考えたこともあったが「30万もらってもあの仕事量は耐えられん」と思って諦めた過去がある。
大学に行く時間が無駄とかタイムマネジメント下手なだけじゃない?
ほとんど大学に行かず「無駄」と言うのは違う
ホリエモンがどのような意図で「大学に行くなんて無駄」と言ったのか100%理解することはできない。
何てったってホリエモンのつぶやきは省略を繰り返した先に出た濃縮還元1万%みたいな原液だけのようなもの。
とはいえ著者が少なくとも言えるのは「ほとんど大学に行ってないホリエモンに行くのは無駄」とか言われても説得力もクソもない。
つーか宗教系とか向いてないやろ……
ホリエモンは九州の進学校から東大の文学部に行っている。今のホリエモンと当時の堀江貴文がどれほど変わっているかなんて知りようもないが、はっきり言ってホリエモンが東大文学部しかも宗教関連のとこなんて向いてるわけがないでしょう。
いくら大学に実際行ってみたら思ってたところとは違ったなんてことが起こりやすいからって、流石にそれは少し考えればわかったことだろうと思ってしまう。
大学に入っていても大学以外のことはできる
そんな自分の適正も見極めずにそれこそ「ブランド力」だけで東大に決めたとしか思えないホリエモンに大学に行くのは時間の無駄とか言われたくないのだ。
実際大学生をやっている間、全ての時間を大学のことだけに費やさなければならないわけでもない。
別に欠席を肯定するわけじゃないがそれも含めて自己責任で自分のやりたいことをできる場所が大学なのだ。
400万円の価値をどのように捉えるかは人それぞれだが「4年間のモラトリアムと後ろ支えを金で買う」と著者は思っている。
個人の信用の時代とか言ってる連中が学歴不要論者なのは理解不能
最近流行りの考え方というか生き方に「個人の信用」を基軸にした経済というものがある。
信用経済ともいうがこれまでほとんど明確にされてこなかった「個人のチカラ」によって経済活動をしていこうというもの。
ツイッターのフォロワーが多い人であったりいわゆるインフルエンサーと呼ばれるような人を信用性の高い人として評価するというのがこれを推し進めようとする人の意見だが、そんなものより学歴の方が圧倒的に役立つだろう。
そもそもインフルエンサーとは何だろうか。影響力の強い人などを指すが一体それをどのようにして推し量るというのだろう。
フォロワーに関してもそうだ。というか1私企業のサービスの人数が多ければ信頼できるとかめちゃくちゃな論理すぎる。
それに比べて学歴、大学を出たという経歴はそうやすやすと手に入るものではない。学校のレベルが上がれば上がるほどに。
学歴を持つ意味はやればやれることの証明
著者が学歴を重要視する理由の1つに「同じ能力と素質を持った2人」がいてなんらかの状況でどちらか1人を選抜しなければならなくなった時、片方が東大卒でもう片方が高卒だったら選ばれるのはどちらかというところだ。
もちろん変な人が選ぶなら高卒の方がバイタリティが高いとかいうかもしれないが、当たりハズレが少ない安全策を選びたいなら間違いなく東大卒を選ぶだろう。
単純に東大卒の方が「受験というハイストレス期を確実にこなして勝ち残ってきた」という素質があると著者は思う。
実際AO入試は廃止する学校が増えており著者の大学ではそもそもAO入試を実施したことがない。
学歴がある人は「学歴を獲得するまでにある程度の成功体験がある」のに対して、学歴がない人は「多くの人が持っている(と勝手に思っている)成功体験を持ち得ない」ことが原因で話し方や普段の仕草に微妙な程度の低さが現れる。
成功体験がある人は「どこで失敗するかを理解している」ため成功し、成功していない人は「失敗を顧みない、あるいは原因追求をしないために何度も失敗を繰り返す」ので成功できない。
大学中退は高卒だということを思い出せ
せっかく入った大学を中退するとか愚の骨頂
大学を卒業するほどコスパの良いことはない。ただし文系に限る。
きちんと決められたことを要領よくこなせば終わるのだから特段「難しい努力を必要とされるわけではない」のだ。
大学院ではないのだからシラバスに全て「これはこのようにすればこれくらいの評価になります」と書いているだろう。
別に高校時代のように誰かと競い合って高得点を取る必要もなければ予備校や塾に行く必要もないのだ。
というか大学の講義をきちんと聞いていてわからないだなんて講師の滑舌の問題かマイクの音量の問題かあるいは聞いている自分の問題しか考えられない。
たったこれだけのことをできないがために「大学中退」という結論を下すのは愚かとしか言いようがない。
適性がなくてもやる努力くらいはしろ
たったこれだけのことができないのにほかに一体何ができないというのだ、「適性がない」とは便利な言葉だが「適性がないからやらなくていいなら全人類が生きることに適性があるとは思えない」のだ。
たしかに明らかに向いてないことはあるだろう、デブに短距離走の走者をやるのは無茶だろう、まず痩せろ。
記事のまとめ
というわけで今回は「大学はオワコンってほんまか?」ということを解説しました!まとめるとこうなります。
- 大卒がオワコンだとしても、高卒が素晴らしいわけじゃない!
- 大学に行く意味の1つは「俺はやれた」という自信を得るため!
- 大学は卒業して初めて学歴が手に入るのだから、ちゃんと卒業しろ!
結論:一流大学には価値がある、そして僕らはみんな普通のタダの人でしかない。
しょうもない大学に行く必要はない。それなら社会にでて働いた方がいい。しかしきちんとした一流大学に行くならばそこで手に入れる全てのものが自分の糧になる。
そうしてようやく自分たちは普通のタダの人を脱することができるのであって、それまでは何一つ周りと変わらないイチ人間なのだ。高校生までに他人と明確に差別化出来ているのなら大学に行く必要などないかもしれない。
しかし著者を含めて多くの人はイチローではない。特別な存在、あるいは特別な努力をした存在ではないのだ。別にそれ自体は悪いことではない。
ただそれを理解せずに「努力をしない言い訳」として「大学はオワコンだから行かない」とするのは人生を「オワコン化」するだけだ。
大学に行くのは特別な努力ではない、誰にでもできる「普通の努力」だ。
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